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まるくなりながら年を重ねたい

 

子どもの頃の私は、片付けや掃除を家庭では教わることなく

私の世代はそういう人は少なくないと思いますが

家を出てから、家庭的かつ厳しさもある職場で育んでいただきました。

 

 結婚して子どもが生まれ、家事や子どもたちとの関わりを楽しんで

 

料理に関してはおふくろの味という制限がないことが

むしろ自由でいいと思うほどでした。

 

母への反発で、自分のものという言葉は、管理責任を意味する言葉だ、と

 

大切にできる範囲の者たちの中で

すっきりきもちよく暮らしたいと思いながら

膨大な引っ越し荷物とともにやってきた母との確執により

そんな私がだんだん、私が母をいやだと思うところに

過剰にフォーカスしていったように振り返ります。

 

 

親子に関する投稿として、これまでの失敗や紆余曲折も

フラワーエッセンスのお話に織り交ぜて投稿していこうと思います。

 

すべて、いただきもの、両親や子どもたちとの共有の宝です。

 

家庭の中で教わるということが少なかったのは事実で

大人になってから、法事の手伝いで、郷土の風習の料理のことを母に尋ねると

そんなことも知らないのか、と、馬鹿にされました。

 

状況的には「あ、教えてなかった、いい機会だから覚えておいて」

…と教えてくれるのが筋だと思いましたが、その時は返す言葉がなかったです。

 

でも、おふくろの味がない、なんていうのは

自分勝手で都合がよい記憶の捏造だったとイチジクが思い出させてくれました。

 

台所ではなく、茶の間のガスストーブの上に

小さなホーローの鍋をかけて煮てくれたのは季節が巡ってくる度のことで

1度や2度ではなかったと思います。

 

スピリットインネイチャーエッセンスでは

フィグ、イチジクのフラワーエッセンスがあります。

 

柔軟さや気楽に構えるような促しのこのエッセンス

 

おふくろの味とはこうあるべき、みたいなところを外して

高度成長期の忙しさの中でも、毎日食べさせてもらっていた

お弁当も作ってもらった、食べていたものの記憶が結構出てきてくれるものです。

 

次々とレトルトやインスタント食品が出てきた時代でもあり

それらをワクワク楽しんだことも事実ですが

 

人より早く花粉症に苦しみ、健康志向になり

身勝手な記憶の分別収納で

 

不快な記憶ばかりを届きやすいところに置いていたところがあります。

 

まだ思い出せる余地があるなら

楽しいことを思い出して母に話したい…と

 

 

2年近く前、介護離職状態の日々、介護DV瀬戸際でいたのが

 

古いホームドラマのメロドラマのような…

 

 

 

 

 

水滴写真は自分の癒しのために昨年の夏以降にはまっていました。

時々登場するかと思います。

 

 

このタイトルは「愛すべきものごとたちに一滴を投じる」

 

 

ちょっとおおげさでえらそうですよね

 

一石を投じる、でなく、一滴です(笑

 

 

母やうちの子うちのたちに、誰か、人に対してではなく

 

ものごとたちにというのは、自分に、とか、誰々に、というのでなく

 

出来事の記憶に

自然からの愛が満ちたお水のバイブレーションが少しずつ届いていく

 

 

フラワーエッセンスの働きは私の実感としてはそんな感じです。

 

そのほうが、どどけやすい、うけとりやすいかも

 

 フラワーエッセンスは周りの誰かを変えるのではない

ということのとらえ方のひとつとして…。

 

 

 

 水滴のまるっっとした輪郭に癒されます。

 

 

愛はとらえ方が難しいですが

 

愛がお水や空気のように自然であればよいな

…と思っています。

 

 

何しろフラワーエッセンスやネイチャーエッセンスは

自然からの愛の贈り物ですから。

 

 

そうだ、そうなんだ、とひとりで納得していたのでしたが

その感じ、その時に文章にしとけばよかった。

 

うまくまとまりません…

またトライしますね。